実の子なの?

 

昭和 44 年 2 月 21 日岐阜県海津市平田町にて、

伊藤家の長男として生まれる。

 

私には姉と妹がいますが、

伊藤家の子どもとしては唯一の男の子なので、

とても喜んでくれたはずだと勝手に思っていました。

 

ですが、小さい頃の写真を探してみても、

見つかるのは姉と妹の写真ばかり。

 

私の写真が見つからないことを母親に伝えると、

 

 

「ほんとやな」

 

 

の一言で終わり。

 

なんだか実は私は本当の子ではないのかと、

少し心配になったことを憶えています。

 

しかし、成長していくに従って、

 

 

「 親父にそっくりやな〜」

 

 

と言われることが増えてひと安心(笑)

 

 

 

なぜか柔道着を着せられて

 

小学生の時の通信簿に必ず書かれていた言葉。

 

 

落ち着きがない

 

 

母親いわく、

授業参観の時には何故か椅子の背もたれに座り、

授業中に突然運動場に走って行ったと……

 

私自身も記憶に残っているエピソードがあります。

 

3時間目が終わった時に、 次の授業の教科書を忘れていることに気づき、

友達2人を巻き込んで自宅まで教科書を取りに帰りました。

 

しかし往復1時間ほどかかる通学路でしたので、

4時間目に間に合うはずもなく、

罰として3人は給食を食べさせてもらえませんでした。

 

こんな私ですが友達は多く、

なぜだか皆の神輿に担がれて、

生徒会の副会⾧に当選。

 

 

当時、多くの友達が少年野球のチームに入っていたので、

私も皆と一緒に野球がしたくなり、

父親に頼み込んでみました。

 

すると連れて行ってもらえる事になり、

ワクワクして父親の車に乗っていると、

グラウンドに着く手前でなぜか急に曲がったのです。

 

 

「どんなスポーツをやるにしても基礎が必要や」

 

 

と父親に言われ、

到着したのは柔道場。

 

すぐに柔道着を着せられ、

野球ではなく柔道をやる事に。

 

当時父親は柔道黒帯で、

道場の師範とは話済みのようでした。

 

 

結局野球はできませんでしたが、

柔道は6年生までやり通し、

地区大会でトロフィーやメダルを貰えるぐらいにはなりました。

 

働くことの対価を知った少年時代

 

伊藤家では「おこづかい」というものが無かったので、

小学4年生からから中学生 3 年までの約6年間、

新聞配達をしていました。

 

雨の日も風の日もという言葉が当てはまる毎日でしたが、

その経験から、

 

 

どんなに辛くても必ず何とかなる

 

 

という考え方が身についたような気がしています。

 

それと、

 

 

地元の人達との毎朝の笑顔の挨拶

 

 

これは自分にとってとても価値のあるものでした。

 

他にも土日は朝6時から、

喫茶店でモーニングのバイトもしました。

 

時間があれば働き、

働けばその対価が頂けるのだということを、

身に染み込ませた学生時代だったと思います。

 

バイト以外の学生生活は、

ハンドボールに明け暮れ、

中学2年の時にはキャプテンを務め、

目標だった全国大会の出場も果たしました。

 

 

しかしそんな中で私が得た宝物は、

小、中、高で出会えた友達。

 

今でも何かあれば直ぐに集まり、

毎年おちょぼ 稲荷で皆で年を越し、

旅行にも行っています。

 

流されるままサラリーマンに

 

小学生の時に自分の部屋を作ってもらえることになり、

毎日学校から帰ってきては大工さんの仕事を眺めていました。

 

そうしているうちに大工さんに憧れるようになり、

 

 

大人になったら大工さんになろう!

 

 

そう思っていました。

 

けれども高校の卒業が近づく頃にはそんなことも忘れ、

流されるように親戚のコネで小売業の会社に入社。

 

入社後は毎日毎日、

老若男女問わず何十人ものお客様を接客し、

楽しく仕事をしていました。

 

その時に味わった接客業の楽しさが、

今の仕事にもつながっていると思っています。

 

当時は会社の寮で生活しており、

同僚とは毎晩のように飲みニケーション。

 

ビールがもうありませんと、

お店からオーダーストップがかかるほどでした。

 

 

しかし先輩に言われた、

 

 

「どんなに二日酔いでしんどくても必ず会社に行け」

 

 

という教えを守り、

仕事に穴をあけることは絶対にありませんでした。

脱サラして修業の道へ

 

そんなサラリーマン生活を送る中、

23歳で結婚。

 

毎日普通に会社と家を往復をするうちに、

 

 

この会社が自分のものになることはないんだ

 

 

と思うように。

 

そんな時、

大工にあこがれていた頃の気持ちがよみがえってきました。

 

 

やっぱり家に携わる仕事がしたい!

 

 

しかしそう簡単に大工になることはできません。

 

なので、当時サッシ屋を営んでいた妻の実家に相談してみました。

 

すると、内装業の仕事を勧められ、

28 歳で脱サラを決心。

 

内装業の職人として修業の道へ。

 

けれども、やはり職人の世界は甘くなく、

毎日夜中まで仕事をするのが当たり前。

 

サラリーマン時代と違って大変でしたが、

 

それでも独立を目指し、

自分の為、家族の為と必死にがんばりました。

独立はしたけれど

 

修行を積んだ結果、

34歳で内装業の職人として独立。

 

 

「綺麗になって凄く嬉しいです!」

 

 

と言うお施主様の言葉がとても励みになり、

来る日も来る日も天井と壁とにらめっこの仕事でも、

やりがいを持って取り組むことができていました。

 

しかしそんな仕事を続ける中で、

何百軒という家の間取りや動線や外観などを見るうちに、

 

自分なら間取りをこうするな 。

 

動線はこうした方が使いやすいんじゃないかな。

 

この外壁を使うともっとかっこいいのにな。

 

 

自分ならもっと良い家づくりができるのではないか

 

 

という思いが日に日に強くなっていきました。

 

そう思うようになった理由がもう一つあります。

 

私自身のマイホームは、

某ハウスメーカーで建てました。

 

完成したその家の床は傷だらけで所々に穴……

 

壁にはひび割れ……

 

コンセントの位置を間違えた穴はプレートで目隠し……

 

担当だった営業マンに指摘をするも、

 

 

「これで直りますから」

 

 

と、補修ペンを渡されただけ。

 

散々な家づくりだったのです。

 

 

家づくりとはそういうものなのか?

 

 

悶々とした気持ちがずっとあったのです。

 

 

よし!家を建てる会社を立ち上げよう!

新たな挑戦

 

当時一緒に仕事をしていた2人の仲間と話が弾み、

意気投合したことで46歳の時に、

 

 

株式会社シグサスホームを設立

 

 

しかし、さあこれからという時に、

仲間のうちの1人が抜けることに。

 

更に最初に決まっていた仕事も急に断られ、

いきなり先が見えなくなってしまいました。

 

それでも諦めずに仕事を得ようと駆けずり回っていると、

久しぶりにお会いした知人のAさんがお客様を紹介くださり、

住宅の建築が決定。

 

Aさんは家づくりのノウハウも教えてくれて、

その時は神様に見えていました。

 

そう、その時は……

天国から地獄へ

 

実際に工事が始まり、

日々家づくりに励んでいました。

 

ところが、

急に先方からの代金の支払いが滞り、

お客様とAさん共に連絡が取れなくなったのです。

 

私のもとに残ったのは、

 

 

工事途中の家と何千万の借金

 

 

神様と思っていた人に裏切られ、

一気に地獄に落とされた感じでした。

 

けれども、

 

 

絶対に会社をつぶすもんか!!!

 

 

という強い気持ちで、

金策に走り回った結果、

なんとか持ちこたえる事ができました 。

 

諦めずがんばれたのは、

子ども時代の新聞配達で培った、

 

 

どんなに辛くても必ず何とかなる

 

 

という考え方が自然と身についていたからだと感じています。

 

金策に走り回りながら、

改めて自分に問いかけてみました。

 

 

自分は何のために建築業に転身したのだろう?

家づくりへの想い

 

ただただ家を建てたいと思っていた自分。

 

だから、こんな事態を招いてしまったのかもしれない……

 

 

自分を信じて残ってくれたスタッフ

 

同じ想いをもって家づくりに取り組んでくれる仲間たち

 

 

皆ともう一度家づくりに真剣に取り組みたい。

 

強くそう思いました。

 

お客様のこだわりがたくさん詰まった、

家族が安心して暮らせる家を提供したい。

 

 

家に帰るとホッする

 

皆がリビングに集まり一緒に笑い合う

 

一緒に悩みを分かち合い、支え合う

 

 

ご家族が集うそんな場所をつくりたい。

 

ご家族の微笑ましい光景が目に浮かぶ家づくりがしたい。

 

この先何十年もその家で暮らすことをイメージし、

ご家族にとっての最高の家を提供したい。

 

この想いを胸に、

シグサスホームはこれからも精進してまいります。

 

 

シグサスホーム代表 伊藤敏美

 

 

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